仲よし地蔵
2006年07月01日11:25/ / カナシイコト(ノ_-。)

仲よし地蔵は、沖縄県石川市の宮森小学校にあるお地蔵様です。
今から47年前、1959年6月30日10:40“宮森事故”がおこりました。
嘉手納基地所属のF100ジェット戦闘機が、楽しいミルク給食の時間が始まろうとしていた宮森小学校の直前に墜落し、ジェット戦闘機は爆発炎上、飛び散った機体が校舎を直撃したのです。
そして...
死者の数は小学生11名、一般の人6名の計17名重軽傷者220名余りを数え、住宅27戸、公民館1棟、校舎3教室を全焼。住宅8戸、校舎2教室を半焼させる大惨事となりました。
事故後、アメリカ軍がすばやく現場にかけつけ、規制を敷いたと当時を知る人が語っているそうです。
引用:QABwebサイト
比嘉さんは、当時もアメリカ軍がすばやく現場にかけつけ、規制を敷いたと語ります。
比嘉昇一「アメリカ軍が来るのは早かったです。民間人や周辺の車は入れない。学校の近くにも入れない。(米兵が)要所に立って、人を通さないようにするんです。もうみんな軍がどんどんどんどん入り込んで」
そして沖縄の警察は、事故の捜査ができず、アメリカ軍が発表した事故原因は、「エンジンの故障で不可抗力」。
この発表を最後にアメリカ軍は、事故調査の結果について公表することはありませんでした。
しかし事故から40年もたった1999年に、QABの取材で事故報告書の存在が明らかになったのです。
報告書には、事故を引き起こした要因として、事故機の右側の排気口が、完全に装着されていなかったこと。飛行前の入念なチェックがされなかったこと。パイロットが離陸時に機首を上げすぎ、機体の温度が上昇しすぎたことなどが詳細に記されていました。
そして、事故の主な原因は整備不良、いわゆる人為的なミスだったと結論付けていたのです。さらにこの事故機は、台湾の会社で整備を受けた後の飛行だったとして、その会社の整備の質にも原因があると、アメリカ軍の責任の一部を回避していました。
そしてその45年後に起きた“アメリカ軍ヘリ墜落炎上事故”
当時を知る人の脳裏に恐怖が走ったのは言うまでもありません。
ここは日本なのに、規制をしき一切を隠ぺいしようとするアメリカ軍の姿勢。45年経っても変わることはなかったのです。
恥ずかしながら、私は“アメリカ軍ヘリ墜落炎上事故”の被害地域に住みながら、“宮森事故”を知りませんでした。
昨日、内間満さんという方のライブを聴きに行き、彼のMCで「今日6月30日というのは沖縄にとって忘れてはいけない事件のあった日なんですよ...」と言われ、何の日だろう?と思い浮かびませんでした。
慰霊の日は23日だし...なんだろう?
そして“宮森事故”を知りました。当時は消防車もなく住民がバケツリレーをして鎮火にあたった現状など、ライブ後にお話を伺うことができました。
事件の風化
実際にその場で被害者になった人たちの心に深く突き刺さったモノは、周りからしてみると触れる代物ではない。
そして本人も、思い出すと痛むから語るには相当の覚悟と力が必要。
しかし、同じような事が起こるとその傷はシクシクと痛むのです。忘れることなんて出来るわけがないから。
この傷を癒すため、同じ事が起きないようにするには、どうすればいい?
そう考えた時、“二度と同じ事を繰り返さないように語り発信し続ける”こと、それが私にできることだと思いました。
意味がないとは思いません。だってほら、アナタが読んでくれていますから。
仲よし地蔵は、当時の犠牲者を鎮魂する為に、武者小路実篤氏から寄贈されたそうです。
Posted by あひる|Comments(2)
この記事へのコメント
細かい資料を調べてくれて有難う。人間は忘れる動物だから、常に物事を見つめ集中していないといけない。ライヴに来てくれて、少し話しも出来て、私も嬉しかったです。貴方の思いや努力は無駄ではありませんよ。継続していろんな活動頑張って下さい。私も歌い続けます。
Posted by 内間 at 2006年07月02日 00:50
うわ!内間さんっ!!コメントありがとうございます!!
継続して頑張ります! >_<
継続して頑張ります! >_<
Posted by あひる at 2006年07月02日 02:56